スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています






バイバイ先見日記
いつから読みはじめたか覚えていないけど
いつのまにか通いはじめていた先見日記。
特に、「しりあがり寿」さんと「駒沢敏器」さんのファンだった。
「ファン」というか「信頼できるおとなをみつけた」というか。
こんな先輩とこんな雑談をしたかったんだ。みたいな感じ。
しりあがりさんはおまけのイラストも楽しみで。



すこしだけ、お気に入りを紹介。
しりあがり寿さん
2003 May 3「ご挨拶 一個の細胞として」
 宇宙から見たら地球ってのはホントに大きな一個の生物なんでしょうね。個人てのはその一つの細胞。だってみんなカンケーしあってるもの。たとえばボクは「左足の小指」の細胞だとします。SARSはもう足首の病気。「左足の小指」はハラハラします。でもイラクの戦争とかは「右肩の脱臼」くらいかな。「左足の小指」としては痛くもかゆくもないし、遠くはなれた一個の細胞としてできることもありません。
 でも脱臼のせいで手が動かなければ、エサがとれなくていつかはその「地球くん」ごと死んでしまうでしょう。同じように「左足の小指」だってまるごとなくなれば、「地球くん」も不自由かもしれません。

 ITとかで世界中の情報伝達が速くなればなるほどそんな「一人の体の一個の細胞」なカンジが強くなります。「左足の小指」もいいけど、ボクはなれるんなら「目」になりたい。走るもの速くないし、重いものも持てないし、口もうまくない。だから目になりたい。目になっていろんな情報を脳みそに送りたい。それも従軍記者みたいな最前線じゃなくもっと脳に近い奥の方の細胞がいいな。

2007 Sep 8 「着色料でキレルのね」
とある未来、着色料の入った食品の流通はもう止めようもなくて、
もうまわりのみんなはどんどんキレやすくなってる。
そんな時、自分の子供だけでもしっかりキレにくい子供に育てるべきか?
キレやすいことが普通になった世の中で、
キレにくいことが正しいとガンバルことがいかにむずかしいか?
そもそもキレやすいことが悪いことかどうか?
世の中がキレやすい人ばかりになったら、
きっと世の中の法律やマナーは、
キレやすい人に都合のいい仕組みに変わってゆくだろう。
例えば日本ではずうずうしいとかあつかましいとか煙たがられる人が
別の国では飾り気のない素直ないい人と見られるかもしれない。
キレやすい、キレにくいはこういった相対的な性格の問題と
どこに線を引けるだろう?
駒沢敏器さん
2006 Nov 13 「新しさの発見」
 おそらく彼らは、自分のなかにある野生を呼び起こしてみたいのだと思う。便利なデジタル機器も生活のなかで必需品だけれど、体のなかにある何かがそれでは物足りないと訴えていることに、気がついているのだ。たとえばカメラを手にした彼は、自分の目で集中してものを見るという行為に「見ることの意味」を能動的に発見するだろうし、それはやがて「太陽の位置と光線の角度」を気にするという次元にまで高まるはずだ。
 便利さを捨てたことと引き替えに、自分の行動がもたらす責任にも気がつくことになるだろう。デジカメでは許された失敗も、一眼レフでは許されない。何をどう撮るか、焦点をきちんと合わせられるのか、手ぶれを起こさないためにはいかに集中力が必要か、そのような基本的な責任を引き受けないことには、現像代やプリント代へ具体的に反映してしまう。自分で行動を起こした途端、何ごともお座なりにはできないということに、彼は新鮮な手応えを感じ取ることになるのだ。

2008 Jun 9 「無駄な相手の尊さ」
 必要なのは自分を評価してくれる人物ではなく、評価の外に置いてくれる相手である。学業や仕事の業績とは何の関係もなく、特に意味のない会話でもそれじたいを尊いものとして理解してくれるような、精神的立て直しの手助けを引き受ける存在だ。相談に対して回答を用意するのではなく(それだと評価の一環になってしまう)、忌憚のない意見を聞かせるのでもなく(当然のことだ)、触れ合っていることそのものに、短くはあっても時間を共有していることに、継続的な安心感をもたらしてくれる人間を人は人として持たなければならない。あるいはそのような人に、自分がならないといけない。
 秋葉原の事件を見て、そんなことを考えた。





スポンサーサイト





コメントする










この記事のトラックバックURL
http://nobylog.jugem.jp/trackback/259

PROFILE
名古屋市にある
若い、小さな
建築設計事務所に
通っています。

もうすぐ3年目

アナログカメラも
ただいま2年目。

nobysan[at]gmail.com



recent comment
recent trackback